大阪 弁天町 交通科学博物館 2010年の画像
2014年4月に閉館
いちおうメイン館ですが入口というわけではありません
弁天町駅で降りると専用改札?を通って入館するんですが
そうするとまず離れから入ることになります
7100形、義経号 一人だけガラスケースに入れられていました
明治13年にアメリカから8両輸入されたもので全機が北海道で使われました
これは義経号ですが弁慶号や光圀号とかもいたそうです
キハ81 ディーゼル特急列車です。いわゆる気動車
上野-青森のはつかり号に最初に使われたのではつかり型と呼ばれます
デビュー当時は故障が多発しててんやわんやだったようです
くろしお号は京阪神から和歌山・紀伊へ行く特急でした
キハ81の内部。ここまでしか入れず
C6226です。昭和23年製
C62は自動給炭装置が装備されていましたがもちろん人力での投炭や調整も
していました
D512.昭和11年製。初期型ですのでナメクジ型です
230型。明治36年にイギリスの機関車を手本に日本で製造されたものです
後年の機関車と較べるきわめて簡素な運転台です
80系電車です。東海道線を走ってた湘南色です。デビューは昭和24年
湘南電車の内部
このホームは旧京都駅の部材を持ってきたもの
旧型客車の食堂車
中が暗くて映り込んでますけどなんとかわかります
2等寝台です、いまのA寝台にあたります(3等はB寝台、1等はななつ星クラス)
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中は撮れてないと思ってたら撮れてた画像あった 中央通路のいまのA寝台と同じレイアウトです |
20系寝台列車の食堂車です
20系は昭和33年にデビューした1編成をひとつのパッケージとした
寝台列車です。それまでは客車寄せ集めで編成を組んでいました
専用電源車を編成に組み込んだため豊富な電気が使えるようになり
それまでの石炭コンロから電器コンロ仕様のオール電化が実現しました
あさかぜからスタートしましたが大変な人気を得ました
中は休憩所兼弁当売場(駅弁?)
イスとテーブルクロスが若干当時と違いますがその他はよくふいんきを残しています
まあカーテンはダラーンとさせずくくってほしいところですけど。
このあとの24系や583系ではカーテンの代わりに二重窓のあいだにブラインドを
仕込みました。また20系より簡素なインテリアとなりました
あたしが乗る頃にはすでに24系に置き換えられていましたので24系食堂車でカレー
ライスを食べたです。700円くらいだったと思う
20系の画像ってあんまり持ってないです。これは東京-大阪の銀河
マークは「急行」と入れてあります。
急行日南に組み込まれてたもの。本来は3段ですがこのときは2段に改造されてました
んで乗ったですよ。車内も撮っておけばいいのにねえ、なにやってたんだろ